子どもは生まれた時から、好奇心のかたまりです。
まだ首もすわらない時から動くものを目で追い、周りの声に反応します。自ら動けるようになると、あちこち這いまわり、小さな指で物を掴んでは、口に入れて確認しようとします。歩けるようになっても同じこと。何にでも興味を持ち、気になるものは自分で触り、五感をフル活用して納得しようと試みます。言葉を話せるようになるとさらに好奇心は強力に…。「何で?どうして?これ何?」等々。所謂「なぜ・なに時代」です。
三世代が一緒に住んでいた時代は、おじい様・おばあ様が、この質問攻めに対応して、同じ質問にも根気良く答えていました。しかし、核家族化が進んだ現在は、両親は仕事や家事で忙しく、なかなかゆっくりと子どもの質問に答えられないのが現状です。ところが、この様に子どもが何にでも疑問を持つことは、その後の学習にとって非常に大切なことなのです。この時代に、大人がどの位真剣に対応したかで、学習能力が決まると言っても過言ではないのです。
時間に追われ、子どもの質問に対して「あとで」「忘れた」「知らない」、あるいは「何でそんなことばかり聞くの!!」「うるさい!!」などの答え方をすると、子どももいずれ、自分で考える習慣がなくなり、「忘れた」「知らない」「分からない」と機械的に繰り返すようになってしまいます。もし、分からない質問であれば、一緒に考えたり調べたりすると、子どもは質問の答え以上のことを身につけることになります。
子どもは、本来好奇心のかたまりです。
この好奇心の芽をいかにして摘まないようにするかが、その後の勉強に対する意欲を育てる鍵になるのです。
生まれながらに勉強嫌いになる子どもはいないはずです。勉強が嫌いな子どもに育ってしまうのは、周囲の私たち大人の責任だと考えます。