今回は個人競技にチームを導入して成功した事例をご紹介します。
長いので2回に分けて記載していきます。
“ひとりで泳いでいるのに、なぜかひとりではない”
これは、競泳日本代表「トビウオジャパン」の選手の言葉です。
トビウオジャパンは個人競技である水泳に「チーム」を導入しました。
するとチームの存在が個々の選手に力を与え、
結果として高いパフォーマンスを発揮したのです。
その結果は、歴代五輪のメダル数を見れば一目瞭然です。
96年アトランタ五輪:0個
00年シドニー五輪:4個
04年アテネ五輪:8個
08年北京五輪:5個
12年ロンドン五輪:11個(戦後最高)
この結果により競泳日本代表の『チーム力』は、スポーツ界だけではなく、多方面から大きな注目を集めています。今回は競泳日本代表の『チーム力』に注目して、成功の秘訣を見ていきます。
それでは個人競技であるのに、なぜチームで戦う必要性があるのでしょうか。
その理由は、単にチームとして高い競技力を発揮しているだけではありません。もともと個人競技であるにもかかわらず、チームの存在が個々の選手に力を与え、結果として高いパフォーマンスを発揮できる要因になっているからです。
◆組織の壁が個人の能力を引き出す足かせになった!
そもそも、日本の競泳界では付き合いが長くなればなるほど見えてくる選手の変化があるからという理由で、一人のコーチが長年にわたり同じ選手を指導することが多々ありました。
さらに、所属スイミングクラブごとに独自の指導方法があり、そのために対抗意識が強かった競泳界では、他のクラブに所属する選手・コーチとは情報共有をあえてしない状況でした。つまり個々の選手の能力が高くても、その能力を活かしきれない組織としての壁が立ちはだかっていたのでした。その結果、1996年アトランタ大会では、選手の能力など前評判が高かったにもかかわらず、メダルが獲得できずに終わっています。
◆︎コーチ間、選手間によるチームのフォロー不足により最悪の結果が生じた!
アトランタ五輪の結果はさまざまな原因が悪いほうに絡み合ってしまった結果ですが、特に組織の壁がある中で、個人での結果を求めすぎるあまり、選手間、コーチ間のコミュニケーションが不足していたことが要因に挙げられます。
周囲の重圧や過度な期待などの強いストレスが選手に降りかかる五輪に対して、この時に臨んだチーム構成は中高生が中心で、しかも26人の代表選手のうち20人が初出場という若いチームでした。そのため、緊張でガチガチになっている若手を助けたり、アドバイスしたりする精神的支柱がおらず、さらに指導者間の情報交換も少なく、選手に対するメンタルケアが遅れてしまいました。これはレース本番が始まる以前の問題で、選手たちは戦う準備すらできていなかったのでした。
◆チーム立て直しの鍵は個ではなくチームで勝つ!
この惨敗をきっかけに、「個が勝つために、チームで勝つ」方向性に舵を切り始めました。その先導役となったのが、シドニー五輪で競泳日本代表のヘッドコーチを、そして北京五輪・アテネ五輪で競泳日本代表監督を務めた上野広治さんでした。
上野ヘッドコーチは、コーチ間、選手間、そして選手とコーチ間のコミュニケーションを活性化し、スイミングクラブ間の垣根を取り払うことに努めました。そして、組織の壁を取り崩し、スイミングクラブ対抗ではなく「代表チーム」を真の意味でチームとして形成するところから始めました。これが競泳日本代表を躍進させました。選手同士が互いに応援する姿を会場で見られるようになったのもこの頃からです。
◆アテネで表れた『チーム戦』の成果
アトランタ五輪での惨敗を受けて、日本代表チームが改革に取り組んだのが97年のことです。世界とメダル争いをするためには、選手個々で強化するのではなく、チームとして気持ちをひとつにまとめて戦う方針を打ち出しました。
上野ヘッドコーチの方針は次のようなことでした。
「目標までに選手たちがたどる道程は違って良し」と、しました。ただし『世界と決勝の舞台で戦う』『世界でメダルを取る』というチーム共通のゴールは同じにしました。そのためには何をすれば良いのか、どういう作戦を立てれば良いのか。個々で考えるのではなく、チームとして所属の垣根を超えて指導者全員、選手全員で考えさせるようにしました。その成果は、アトランタ五輪から8年後のアテネ五輪で表れます。
その成果としてアテネ五輪では金メダル3個を含めた合計8個のメダルを獲得し、7人のメダリストが生まれたのでした。この結果はメダル獲得を命題に設けられた厳しい選考基準を突破したことで、選手全員が「メダルを取る」「世界と勝負する」という同じ思いを持ち、“強い絆”で結ばれたひとつの『チーム』としての力を武器に五輪に挑んだ結果でした。